青島市で生まれました

今日は金鱗化龍ことが私生まれた所について紹介します。青島市の特産品はビール?です、「青岛啤酒」は私が唯一飲めるビール?です(^^;;。苦味が少ないのでチューハイ派の私でも飲めます。

正式名称:中華人民共和国山東省青島市

特徴紹介:主要な港湾都市で副省級市・計画単列市、国家歴史文化名城に指定されている。中国の海洋産業の中心都市であり、東部沿岸の重要な経済と文化の中心であり、近代的な製造業やハイテク産業基地も立地する。人口:904.6万 (2014年)、面積:11,070 km²。

1983年の夏に私はこの地で産声を上げました、早朝5時くらいのことで、片田舎から町の病院まで駆けつけるのに牛車で30分くらいかかります、しかもこの時間はまだ始業前です。仕方ないから父親が院長夫婦を叩き起こし病院を開けてもらいました。分娩台に上がるともう頭を覗かせていて、難なくスルッと出て来たそうです。80年代の中国は「改革開放政策」が施行されたばかりで、全体的にも豊かではなかったのですが、ウチは特に貧農でした。

こんな状況になったのはやはり「文化大革命」による影響で、大地主だった高祖父(祖父の祖父)の頃は、(清末戦乱の時でも)一年間に食べた鶏の骨だけで2tトラックを満載にできたほど裕福だったらしいですが、坊っちゃん育ちの祖父は何の才もなく、文革によって落ちぶれました。因みに私の父方は純粋な中国人系統で、姓は「劉」です。中国に詳しい方なら簡単に想像つくと思いますが、家系をたどると「漢高祖皇帝劉邦」に行き着きます。そうです、あの覇王項羽に勝ち、前後四百年続いた漢王朝の基を築いた、成り上がりの劉邦です。

詳細な歴史については別途書きますが、山東省の半島部分は周王朝の時代から重要視されており、最初に封ぜられたのは太公望呂尚(姜子牙)で、斉公となり国を開きました。最初は実りが少ない土地でしたが、さすがの太公望は期待を裏切らずに、水産業を奨励し見事この地を豊かにしました。また、戦争必須品である塩と鉄の産地でもあるため、それらを武器として第15代当主桓公の時代には春秋五覇となり、その後支配権は田氏の簒奪されましたが、この地を受け継いだ田氏は戦国七雄になっています。

そして時は流れて漢王朝の時代には劉氏王族の封地となりました、その中で最も有名なのが膠東王劉徹(漢武帝)、しかし彼は赴任期限前に皇太子となったため現地には来ていません(汗)。それでもこの地方の重要さがお分かりいただけたかと思います。そして現代では国際空港の地にもなっており、ANAやJALの機体が飛んでいます。日本人にとって馴染み深いのは、「漢字・漢方薬・漢委奴国王印」くらいですかね。古代日本(倭)からの朝貢は3000年以上も前から有ったようで、についてはじめて書かれた正史は、後漢の初頭時代に班固が書いた『漢書』地理志であり、王充が著した『論衡』(ろんこう)であります。それによると、周成王(2代目皇帝で武王の子、当時はまだ皇帝という称呼は存在しない)のために薬草を献上したとされています。

※劉家の有名人には、西の前漢(高祖劉邦武帝劉徹)、東の後漢(光武帝劉秀)、南の蜀漢(先主劉備)などがいます。
※日本(倭)について記載がある文書は「前漢書・地理志」、「後漢書・東夷伝」、「魏志・倭人伝」などがあります。

番外編:山東省で他に有名な地方としては、「梁山泊」があります、「水滸伝」に登場する108将星の本拠地ですね。その近くに漢武帝が封禅を行った東岳泰山があります、秦始皇帝に倣ったというだけではなく、未踏の封地「膠東」に近づきたかったのかもしれない・・・。また、泰山は五岳の首位で、熟語「泰山北斗(重鎮)」で知られるように、中国においては重要な位置づけです。

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投稿者プロフィール

金鱗化龍
福岡在住で中国(青島)生まれの日本(大分)育ち、上海や鄭州に基盤あります。日中間のやり取りで御入用の方はご相談下さい、要人訪日の通訳を務めた先生や上海進出企業の上層部を束ねる師匠がいます。ITに強いです!