福岡市に転居しました

福岡市は、九州の北部に位置する福岡県の西部にある市である。県庁所在地であり、政令指定都市でもある。創業のための雇用改革拠点として、国家戦略特別区域にも指定されている。九州地方では最大の人口を有し、日本の市で5番目に多い。前回福岡市での仕事を辞めた後に実家大分に帰ったと述べましたが、3年の紆余曲折を経てまた福岡市に舞い戻りました、今度は定住するつもりで。

実は留学前には一人目の子供を授かったのですが、産んで生活できる状況ではなかったので妻の判断で中絶しました。そして福岡で仕事を始めてからはもう一度産む方向で話が決まったのですが、中絶の影響で自然妊娠しにくくなっていました。そんな生活のストレスも仕事に影響して、後先も考えずに言いたいことをぶちまけて仕事をやめた次第です。実家に住んで半年くらいの時に、「もう付き合いきれん」となって、離婚しました。

国際結婚なので、日本で離婚が成立しても、中国では婚姻継続しているため、その解除手続きのために一緒に中国に行きました。しかし中国の親戚ら特に仲人のオバには「絶対ダメ」と反対され、グダグダ押し問答しているうちに離婚日から3ヶ月以上経過していました。一度味わうとやめられない男女の欲望、禁欲が長く続いた元夫婦は一つ屋根の下で生活、となればお互いに拒否しにくい流れで交わり、結果見事「子宝くじ」に当選しました。はい、2度目の妊娠です。

こうなっては仕方ない、離婚した関係ではあるが、直前まで子供をほしがっていた事実もあり、どちらも「堕す」という選択肢は存在しません。私は生活維持のために仕事量を増やし、彼女は妊娠安定期に入るまで絶対安静、しかし頃合いが悪く、元旦と旧正月の時期で出稼ぎ労働者たちは帰省ラッシュで、出店などが激減し食材などを確保するのにも一苦労でした。何とか凌いだ後ツワリもひどくなったので彼女をいったん親元に返しました。

私は生まれてくる子供に安全安心な環境を提供するため、再度日本で生活するべく準備に取り掛かりました。請け負った翻訳などの仕事を完了させ、売り込みスキルを得るために短い間師事していた師匠に別れを告げ、帰国しました。彼女は一足先に私の母に預けて私は就職活動を展開したのですが、田舎都市大分では仕事が少なく、有ったとしても条件が厳しい、ここまで長く続いた経歴がないので難航しました。特に2013年の時点ではまだどこの会社も即戦力を求めていたため、書類審査落ち数十回、一次面接落ち数回でやっと落ち着いたのがタクシー会社。

しかし過労によりマイカーを自爆してしまい、採算が合わないので辞めました、わずか半年の勤務でした。運よく職業訓練の募集に間に合い、建築の勉強を始めましたが、学費及び生活費は就職支援給付金から捻出していました。これは政府の支援制度ですが、毎月ハローワークで認定を受ける必要があります。認定日に残業実習していたら、受付時間に遅れてしまい支給はなくなりました、また半年でした。

それから数ヶ月は自暴自棄になり、生活費も底をついていたのでクレジットやキャッシングに頼りきりでした。一発逆転を狙って以前から何回か購入したことがある情報商材を買ったのですが、この時のは投資系のもので、投資に回す余分なお金は当然ありません、またもや自爆です。そして終に首が回らなくなり、再起を約束し市に生活保護をしていただきました。乳飲み子のために奮闘し、ようやく再就職できたのはガソリンスタンド、もう正社員は望みません。

これまた半年くらいの時に、子供がもう離乳できたので、彼女が本格的に働き始めたいといろいろ検討した結果、馴染みがあってチャンスが多い福岡に再インターンする事になりました。ほかの大都市も当然考慮に入れましたが、現実的ではな買ったので福岡で落ち着きました。そして異郷の地で大人2人幼児1人の新生活が始まったのです。だいぶ端折っているのですが、また長くなりましたので、ここで一旦区切ります。

 

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投稿者プロフィール

金鱗化龍
福岡在住で中国(青島)生まれの日本(大分)育ち、上海や鄭州に基盤あります。日中間のやり取りで御入用の方はご相談下さい、要人訪日の通訳を務めた先生や上海進出企業の上層部を束ねる師匠がいます。ITに強いです!